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「今」の関連ワード⇒ 又のつとめて 又の年 又の朝 

今【いま】

<一>[名]<二>[副]
<一>
[1]現在。現代。
[例]「その帝(みかど)よりこなた、いまの帝まで、十四代にぞならせ給ひにける」〈大鏡・序〉
[訳]「その天皇(=文徳天皇)から以降、現在の天皇(=後一条天皇)まで、十四代におなりになられた」
[2]新しいこと。新しいもの。
[例]「前(さき)の守、いまのも、もろともに降りて」〈土佐・十二月二十六日〉
[訳]「前の国守も、新しいもの(=新しい国守)も、そろって(庭に)おりて」
<二>
[1]ただ今。目下。今すぐに。
[例]「◎いま来(こ)むと言ひしばかりに長月の有り明けの月を待ち出(い)でつるかな」〈古今・恋四・六九一〉
[訳]⇒いまこむと…〔〔和歌〕〕
[2]まもなく。やがて。そのうちに。
[例]いま、秋風吹かむをりぞ来(こ)んとする」〈枕草子・虫は〉
[訳]まもなく、秋風が吹く時季に(迎えに)来るつもりだ」
[3]さらに。もう。なお。
[例]いまひときは心も浮き立つものは、春の気色(けしき)にこそあめれ」〈徒然・一九〉
[訳]さらにいっそう心もうきうきするものは、春のようすであるようだ」
[4]新しく。新たに。今度。
[例]「かたへはなくなりにけり。いま生ひたるぞまじれる」〈土佐・二月十六日〉
[訳]「(池のほとりの松の)一部分がなくなってしまっていた。新しく生えたのがまじっている」


[最終更新日:2007-12-11/JLogosid:5074689]
関連項目: 又のつとめて 又の年 又の朝 

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今市村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

今井郷(中世)
 鎌倉期~室町期に見える郷名...

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今福村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

今別村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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今帰仁城【なきじんぐすく】
沖縄本島北部,今帰仁村今泊小字ハンタ原に所在する城...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

今福浦(中世)
 南北朝期~室町期に見える浦名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

今富(中世)
 鎌倉期から見える地名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

今治藩【いまばりはん】
(近世)江戸期の藩名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

今治藩(近世)
江戸期の藩名居城は越智郡今治城(吹揚【ふきあげ】城・美須賀【みすか】城)親藩(家門)・小藩,3万5,000石城は藤堂高虎により慶長7年6月から着工されたもので,広さ8町16間四方,5層5重の天守閣,櫓数19,海水を導く3重の濠をもつ大規模な平城である高虎は慶長13年8月に伊勢国(三重県)の安濃津城に移り,養子高吉が寛永12年9月まで28年間在城本町・風早町・室屋町など城下6町も慶長8年2月,高虎の町割りによるものである寛永12年9月,高吉に代わって伊勢国長島で7,000石を領していた松平(久松姓)定房が3万石で入城以後,定時,定陳,定基,定郷,定休,定剛,定芝,定保,定法と10代続き明治維新となる定房と同時に兄定行も松山15万石の城主として入城している以来今治藩政や財政再建等は松山藩に負うところが大きい定房に随行した久松長政・戸塚助太夫ら藩士38名は長島譜代衆と呼ばれて明治維新まで藩政の要職をしめた寛文4年4月の藩領は越智郡陸地部で今治村・日吉【ひよし】村など68か村2万6,000石余,同島嶼部で魚島村・木浦【きのうら】村など26か村3,800石余である寛文5年6月,定房は江戸城大留守居役を命ぜられて武蔵・下総・下野・常陸のうちで1万石加増され4万石となったが,延宝4年3代定陳【さだのぶ】が弟定直へ5,000石を分知して3万5,000石となったさらに元禄11年3月には関東の残り5,000石を上地され,替地として宇摩郡のうち18か村を領し,以降明治維新まで3万5,000石であった支配は町方,越智郡陸地部を北方と南方に二分,島方,宇摩領と五分して行い,領内人口は宝暦7年9月で5万500人である3代定陳は家老江島為信を重用して法制を整備,元禄5年には郷里の日向(宮崎県)より甘藷を取寄せて大島で栽培させた社寺の再建や交通の整備にも意を用い,中興の英主といわれる中期の藩政は農政に主眼をおき,元禄2年の大島八幡【やわた】新田,同13年の津倉塩田など新田開発を進めるとともに,貞享3年から地坪【じならし】制度を実施した中央を流れる大河総社【そうじや】川の洪水対策については享保9年より,川浚いを行った宝暦元年からは河上安固を中心に河道や堤防等の大改修工事を行う一方,旱魃対策としては明和8年鹿児【かのこ】池,寛政7年犬塚池を築造し,農業生産を安定させたしかし享保17年からの飢饉では収穫は平年作の4分の1で,収穫皆無の村も出て,米価は4倍となり,飢人は1万7,000人余,餓死者は不明であるが,領内人口は享保15年の5万1,192人が6年後の元文元年では4万7,477人と約4,000人も減少している藩は幕府や町方から借財するとともに,年貢米より3,000俵を放出して救済に当たっている一揆は宝永5年からの弓削村土生【はぶ】騒動,宝暦6年余所国【よそくに】村カレイ山騒動が起きている藩士の俸禄が全額支給されたのは3代定陳までで,元禄5年から5年間は15%,享保10年から50%引きとなり,以降5歩渡しの半知【はんち】が恒例となったために藩士の動揺や不満は隠せず,上級武士に汚職,下級武士には職務の放棄などがみられる7代定剛【さだよし】は寛政5年から異国船漂着時の警防体制を指示して海防を強化する一方,長野恭度【やすと】を講習場の教授に任じて朱子学による封建思想の強化により藩体制の維持につとめた講習場は文化4年に藩校克明館となる庶民の教育としては流行の心学に注目し,初期には松山藩の田中一如【いちによ】を招き,文政年間頃からは藩士丹下環【たんげたまき】に領内を巡回させ,道話を行わせている産業面では藩内には製塩以外に特別な産業はないが,享保年間頃から農家の副業として発展しつつあった綿業に注目,安永元年から課税して収入をはかるとともに,綿替商を保護し,天保年間から明治初年には藩の専売品として30万~40万反を上方に移出している化政期から文化面も発展し,絵師では山本雲渓や沖冠岳らが傑作を多く残している半井梧庵【なからいごあん】・越智通貫【みちつら】・菅周庵らの秀れた国学者も輩出した天保14年,9代定保は寛政の海防令を強化し,続く10代定法【さだのり】は文久3年,城下海浜の4か所に砲台を築き,翌年には領内から真鍮・錫などを集めて大砲を鋳造し,演習等も行ったまた久松監物に命じて洋式兵制に再編成し,さらにイギリス式・フランス式の数度の改革を行っているまた今治城が海岸にあり,敵船の砲撃に抵抗力がないため,内陸の鈍川【にぶがわ】村神子ノ森【みこのもり】に移転を決め縄張りを行っている元治元年の長州征伐では2隊631名の兵士を出陣させたが戦闘には参加せず,慶応元年の再征でも戸塚求馬らに征長の中止を将軍に建白させている明治初年の状況は,草高4万3,234石余,村数86,人口7万4,994人,うち男3万8,247・女3万6,747,戸数1万5,681,うち士族306戸・1,697人,卒族514戸・2,051人(藩制一覧)明治4年廃藩により,今治県となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

今岡古墳【いまおかこふん】
古墳中期前半(5世紀前半)の盛土前方後円墳...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

今泉浦(中世)
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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