- JLogos検索辞書>
- 飯村(近世)とは
「飯村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
飯村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
飯村(近世) 江戸期~明治9年の村名出羽国秋田郡小鹿島【おがしま】のうち秋田藩領「享保郡邑記」に「古来は脇本村に起る,正保三卯年に別村に成る民家三軒」とある藩政初期以来真崎氏,および脇本【わきもと】の加藤与治兵衛が開発(絹篩)「享保黒印高帳」に村高495石余・当高425石余(うち本田並360・新田65)とあり,江戸前期に相当の開田のあったことを示す「寛政村附帳」では当高426石余(うち蔵分0.7・給分426)給分は多数の久保田給人に1,2石前後で細分給(御判紙写帳)「天保郷帳」では村高425石余しかし「絹篩」に「元一村にして村居宜しと云何時の頃か村散のことありて家二戸あれり,止こと無くして涌元の支郷とす」とある湿地帯のため潰村か鎮守は神明社ほかに八幡社があるこの2社の別当は南平沢村の修験大学院(絹篩)明治9年脇本村に合併される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」