左兵衛新田(近世)
江戸期~明治30年の村名。美濃国厚見【あつみ】郡のうち。はじめ加納藩領,以後宝暦6年幕府領,安永4年より大垣藩預り地。当新田は,元禄元年加納藩士三宅佐兵衛が藩主松平丹波守に請願し,野一色・北一色・水海道の計3か村の広野を開墾したもの。同年の検地後,高田・前一色・蔵前の村々より小作人が移住し,宝暦12年より左兵衛新田と称した。村高は「天保郷帳」「旧高旧領」124石余。明治4年岐阜県に所属。同24年の濃尾地震では総戸数30のうち全壊1・半壊23(震災誌附1)。同30年稲葉郡北長森村の大字となる。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7344459 |