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歌舞伎町
【かぶきちょう】


歌舞伎座がない町が「歌舞伎町」という地名になった理由

新宿区歓楽街を「歌舞伎町」と呼ぶが、よくよく考えてみると「歌舞伎町」に歌舞伎座はない。その理由は、第二世界大戦での東京大空襲にさかのぼる。空襲によって焼け野原となってしまった新宿では、復興計画立てられた。このとき率先して立ち上がったのが、今の新宿にあたる角筈北町会長であった鈴木兵衛氏だった。焼け野原になる前の角筈北町は、民家小売店並ぶ静かな町だったのである。町を復興するには、以前同じ民家建てたのでは繁栄しないと考え鈴木氏は、銀座浅草足して二で割ったような娯楽がある町にしたいと考えた。そこでシンボルとして考えたのが、歌舞伎劇場「菊座」の建設だった。実は空襲以前にあった府立第五高女が戦災焼けてしまい、中野区富士見町移転してしまったため、学校跡の敷地有効活用しようとしたのだ。以前とは違うまったく新しい顔を持った活気のある町をつくろうということで、町の名も新しくすることにした。そこで、シンボル存在歌舞伎劇場の名をとり、「歌舞伎町」としたのが一九四八(昭和二三)年のことだ。ところが、劇場建設には膨大資金がかかるため、結局この計画頓挫してしまう。そのため、歌舞伎座がないにもかかわらず、「歌舞伎町」という名前だけが残ってしまったというわけだ。歌舞伎劇場建設は叶わなかったが、鈴木氏はただ手をこまねいて見ていたわけではない。歌舞伎劇場建設予定地で東京都産業平和博覧会開催し、その会場跡を有効活用した。博覧会産業会場は東急が営業するスケートリンクに、二号館はオデオン座に、三号館は新宿劇場に、四号館はグランドオデオン座(現・東宝コマ劇場)とし、鈴木氏がめざした通り活気ある町になったのである。




東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820178