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甲子園②
【こうしえん】


昭和のはじめに、スキーのジャンプ大会の会場にもなっていた!

甲子園球場野球以外スポーツ大会がおこなわれたことがある。甲子園開催としてはかなり意外なスポーツである。それは、スキーのジャンプ競技で、一九三八(昭和一三)年一月九日のことだった。大阪毎日新聞社主催の「第一全日本スキージャンプ甲子園大会」である。ジャンプ台は、外野席からバックネット向かって飛ぶように設置された。全長一四〇メートル高さ三〇メートル傾斜三七度だった。雪はというと、この頃人口降雪機があるわけではないので、自然雪をはるばる新潟県信越本線田口駅(現・妙高高原駅)から運んできた。参加選手二八名。観衆四万人にもなり、大成功を収めた。優勝したのは、小樽中学出身木村隆選手最長不倒距離は二七メートルだった。しかし、最長不倒距離が二七メートルとは、いくら昔とはいえ短すぎないだろうか。それもそのはずで、甲子園無理やり設置したジャンプ台では規模が小さく、長い距離飛ぶのは困難だったようだ。また、主力選手が、同じ日に北海道で開かれていた「第三大倉シャンツェ建設記念大会」に出場していたこともある。こちらの参加選手は六〇余名。優勝したのは、安達五郎選手最長不倒距離は七〇メートルにもおよぶ。いくら甲子園広いとはいえ、それはあくまで球場としての話。スキージャンプをするには狭すぎるわけで、優勝した木村選手が二七メートルしか飛べないのは無理もない。なお、「第一全日本スキージャンプ甲子園大会」と銘打ったこの大会だが、第二大会がおこなわれた形跡はない。




東京書籍
「雑学大全2」
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