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女性専用車両
【じょせいせんようしゃりょう】


実は大正時代から存在していた!

すし詰め通勤列車ほど女性にとって不快なものはない。そこで、近年になって、JR各社私鉄地下鉄などでも時間帯制限などを設けながら、混雑する時間には女性専用列車というものが登場している。関東でのはじまりは二〇〇〇(平成一二)年である。年末忘年会シーズン一二八日から二八日まで、京王電鉄深夜下り電車テストし、好評なことから翌年三月二七日から本格導入となった。関西では、二〇〇二(平成一四)年に、京阪電鉄が朝ラッシュ時の大阪大阪方面行き特急最後車両で、阪急電鉄が京都線の特急通勤特急快速特急梅田方面行きの五両目終日女性の専用車両と決めたのがはじまりである。女性専用車両最大の利点は、痴漢など犯罪被害防止だ。その後広まるのは関西地区のほうが早かったが、決して関西地区のほうが痴漢犯罪率が高いというわけではない。やはり東京通勤ラッシュ時の混雑比較すると、関西のほうがやや混雑緩やかなため、専用車両をつくるという対応取りやすかったようだ。女性専用車両でないと安心して乗車できないなんていやな世の中になったものだと思えるが、意外にもこの女性専用車両発想は、大正時代からはじまっていた。一九一二大正元)年、当時中央沿いには名門女子高が多く通学時間帯になると、女学生目当て男子学生痴漢などが多いのが問題になっていた。いまよりも男女交際にも厳しかった時代のこと、女子学生電車乗るのをやめて、徒歩にしたり仕方なく人力車を使ったりしていた。これに沿線女子学生父兄から苦情が相次いだという。そこで、当時学習院院長乃木希典父兄意向受け鉄道院の上層部に対策要求したという。この乃木院長はいわずと知れた日露戦争のとき「軍神」とまで呼ばれた人物だったため、急遽通学時間帯にのみ、婦人専用車設けられることになったというわけだ。いまも昔も女学生悪さをしようとする人間がいたのだと思うと、なんとも悲しい現実だが、なるほど考えてみれば、「男女別学」などがいまも当たり前日本人には、女性専用車両はなじみやすい制度なのかもしれない。




東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820430