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親鸞
【しんらん】


あの偉大な僧の多妻説

日本最も多くの信徒擁する浄じょう土ど真しん宗しゅうの開祖である親しん鸞らんは、京都公家だった日野有範長男として生まれ一一八一(養和元)年、九歳のときに青蓮院慈円のもとで出家し、比叡山修行する。一二〇一(建仁元)年、二九歳のとき、京都六角堂参籠し、夢のなかで聖徳太子に「法然を訪ねよ」と告げられ、浄土宗開祖である法然弟子となる。一二〇七(承元元)年、法然教団の十余名が危険思想持ち主として死罪流罪となったとき、越後(現・新潟県)に流罪となった。一二一一承元五)年、赦免され、関東布教活動をおこなった後、京都帰り晩年著作活動励み一二六二(弘長二)年に往生した。仏の救済頼るしかない悪人戒律を守れぬ者)こそが阿弥陀仏救い対象となるという「悪人正機説」を法然から継承して広く唱え、その思想弟子唯円の著とされる『嘆異抄』に記されている。さて、この親鸞自身が「悪人」だったといいたいわけではないが、従来仏教妻帯を禁じていたのに対して親鸞妻帯している。法然弟子入りする契機となった六角堂参籠のとき、夢にあらわれた聖徳太子が、「わたしがおまえの妻になりかわって生涯仕え、死に臨んで極楽浄土に導こう」と告げたので、結婚踏み切ったと伝えられている。親鸞の妻としては恵信尼有名だが、生涯結婚した女性彼女ひとりではなく、子どもも四男三女の人のほかにもいたのではないかといわれる。




東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820455