100辞書・辞典一括検索

JLogos

14

隅田川花火大会
【すみだがわはなびたいかい】


大会のはじまりには、コレラが関係していた!?

日本花火が伝わったのは、一六世紀天正年間といわれ、一六一三(慶長一八)年に徳川家康上覧花火をきっかけとして、江戸花火人気を集めたとされる。しかし、「火事喧嘩江戸の華」と火消活躍ぶりがうたわれるほど江戸火事の多い町だった。そのため花火火事の原因となるほか、砲声紛らわしいという理由で江戸幕府一六四八(慶安元)年以降花火制限するお触れ出していた。そんななか、一七三二(享保一七)年に冷夏長雨イナゴなどの大発生により西日本各地大凶作となった。餓死者は一万二〇〇〇人を超え、二〇〇万人以上飢餓苦しんだ。加えてコレラまでが流行したともいわれている。江戸四大飢饉一つ、「享保の大飢饉」である。この死者の霊を慰めようと、翌年の一七三三(享保一八)年、神田川沿い水茶屋川開きの際に、死者の名を記した塔婆などを川に流すといった川施餓鬼をおこない、花火打ち上げたのが、現在でも東京名物となっている両国の花火大会隅田川花火大会)のはじまりとされる。花火打ち上げは、当初鍵屋が担当していたが、一八一〇(文化七)年には鍵屋から分かれた玉屋も加わり、二業者体制となった。鍵屋と玉屋違う場所から交互上げ花火を観ながら、観客は気に入った花火上げたほうの名前を呼んだという。これがいまでも花火見物につきものの「かぎやー」「たまやー」のかけ声の由来となった。この花火大会は、江戸時代から、明治維新第二世界大戦などで数度中断したものの、交通事情などで廃止される一九六一(昭和三六)年まで続けられていた。しかしその後一九七八(昭和五三)年に隅田川花火大会という名称再び開催されることとなり、現在にいたっている。もちろん、時代が変わっても火の危険性変わることはなく、同花火大会では火災事故などを警戒し、消防特別警戒態勢がとられている。




東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820473