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武田信玄
【たけだしんげん】


武田信玄の強さの秘密は、槍隊の使い方と馬の扱いのうまさにあった!

武田信玄といえば、今も人気集める戦国武将一人である。「風林火山」の軍旗を用い、「甲斐の虎」と呼ばれた信玄が率いた武田軍は戦国最強と評された。その強さは、最強騎馬軍団を持っていたから、というのが多くの人持つイメージだろう。しかし、事実は無敵移動自在独立騎馬集団」とはかけ離れたものだったらしい。実は、信玄の時代戦場の主力騎馬ではなく歩兵、つまり「足軽」であったのである。戦術的にかなり高度になっていた戦国時代中期集団戦闘では、武者同士馬上一騎打ち、などという華麗な戦い方はもうあり得なかった。そんなことをすれば、名乗りをあげているうちにブスリとやられてしまうのが、戦国時代の戦というものだったからである。槍を主要武器(やがて鉄砲に替わる)とする足軽はすさまじい勢い突撃し、馬に乗った武士倒すこともしばしばだったという。信玄は、こうした足軽常に集団として使う戦術を用いた。「多勢人が、いっせいに槍先を揃えて、えいえいと声をかけながら、はじめは緩やかに、次第次第に急になり、ようやく敵に近づくと、一斉に槍先を揃え敵陣突貫するのだ。……おれは後で西洋の操練を習ったとき、初めてこの法がすこぶる実用にかなっていることを知った」(『氷川清話』)。これは、幕末まで伝えられていた信玄当時の槍法の調練を見た勝かつ海かい舟しゅうの感想である。このことからも、武田軍の主力足軽による槍隊であったことがうかがい知れるだろう。武田軍が「神出鬼没」と恐れられた背景には、山間部に適応した優れた馬を数多保有していたこともあったのではないか、とも考えられる。山地で育った馬ならば、どんな厳しい条件の荷役にも耐えられたのではないかと思われるからだ。信玄は、敵陣をかく乱させたり突撃したりする「兵器」としても馬を上手に使ったのだ。このように馬を巧みに使ったことが「武田騎馬隊」の伝説を生んだのかもしれない。しかし、当時騎馬武者集団はあるにはあったが小規模で、戦い勝負決定づける戦場の主役というよりは、機動力を活かした偵察急襲などの任務就いていたのである。また、馬もサラブレッドより一回り小さい国産馬である。大河ドラマなどで見かける、草原疾駆する武田騎馬軍団というシーンは、実際にはなかったといえそうだ。




東京書籍
「雑学大全2」
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