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東京①
【とうきょう】


「東京は正式な首都ではない」という都市伝説

日本の首都は? といえば誰もが「東京」と答えるだろう。だが、首都東京というのは正式に決まったものではないという、いわゆる都市伝説がある。それは、次のようなものだ。一八六八(明治元)年七月一七日旧暦)、江戸東京改め天皇東京政務執ることを宣言した詔書が発せられた。これを「東京奠都の詔」と呼ぶこともあるのだが、「なし崩し説」の根拠はここにある。つまり、「遷都」は正式な首都移転示す言葉だが、「奠都」は正式に政府天皇が都を定めたわけではないときに使われる言葉である。だから、東京への首都移転正式ではない、というのがその論拠のようだ。だが、そもそも一九六八年の詔書には「遷都」も「奠都」も使われていない。また、詔書が「○○の詔書」とか「○○の詔」と呼ばれることはよくあるが、それは通称であり、正式な名称ではない。いわゆる「東京奠都の詔」も、正式には「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書(詔)」という。つまり、はじめから、「遷都」も「奠都」もないのである。では、どうやって東京首都決まったのかといえば、それは詔書を読んでみれば、やはり東京遷都実質的に宣言する内容だからである。曰く江戸東国第一ノ大鎮、四方輻輳ノ地、宜シク親臨、以テ其ノ政ヲ視ルヘシ。因テ自今江戸ヲ稱シテ東京セン」(原文句読点を補った)。この文面から、新政府の政治は、新しく東京首都として行うのだという意志読み取れるのではないだろうか。そもそも、首都東京移転されることになったきっかけは、一八六八(明治元)年、内乱続くなか、大久保利通大阪遷都主張したからだという。前年王政復古宣言し、新政樹立進める大久保は、公家政治的影響力を弱めようと考える。そのためには、都を京から移すことが必要である。そのための大阪遷都主張だったのだ。だから、前島密などから江戸が都にふさわしいという進言が出されると、大久保はあっさり大阪遷都取り下げてしまう。遷都公家たちの勢力奪うためにすることであるから、新都場所にこだわる必要はなかったのだ。こうして、一八六八年九月天皇東京行幸がおこなわれた。このときは二カ月足らず京都戻るが、翌年二度目の行幸実行され、太政官江戸に移って、実質上遷都がおこなわれたのである。




東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820597