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野口英世
【のぐちひでよ】


改名までしたのに一生治らなかった浪費癖

医学者細菌学者として大きな足跡を残した野口英世幼名清作といい、会津貧農家に生まれた。幼時に負った火傷左手変形したが、苦難に挫けず医師免許をとった。北里柴三郎伝染病研究所勤務した後、一九〇〇(明治三三)年渡米ロックフェラー医学研究所勤務していた一九一三(大正二)年、麻痺痴呆患者の脳内から梅毒スピロヘータ発見して、世界細菌学界の注目を集めた。一九一八大正七)年、黄熱病病原体を突き止めるためにエクアドルに赴き、その病原体を発見した(ただし、今日これは誤認だったとされている)。そして一九二七(昭和二)年、黄熱病発生したアフリカガーナに赴き研究を続けたが、翌年黄熱病死亡した。と、ここまではどの伝記にも書かれていることだが、ここでは、そんな野口英世からは想像しにくい一面をご紹介しよう。貧しい生まれ努力家というと、経済観念もしっかりした倹約家を想像するが、野口はたいへんな浪費家だった。伝染病研究所で働いていたとき、彼は郷里恩師の家で坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでギクリとした。野々口清作という自分とそっくりの名の医学生の主人公が、酒と女堕落するという話だったからだ。動転した野口は、恩師相談して、「清作」という名を「英世」に改めた。こうして心機一転したはずの野口英世だったが、彼の浪費癖は改名後も治らなかった。たとえば渡米決まったとき、婚約者の家が二〇〇円を前渡ししてくれた。貧しい野口にとって貴重な渡米資金だったのに、大金を手にした彼は仲間と街に繰り出し料亭で大宴会芸者をあげてドンチャ騒ぎ一晩明かし翌朝請求書を見てびっくり。渡米資金大半にあたる一七〇円近く散財してしまっていたのだ。普段貧乏なためか、野口には持ち慣れない大金手にする浪費してしまうという悪癖があり、この浪費癖に一生涯苦しめられたようだ。




東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820683