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リッツ
【りっつ】


「ぜいたくな」ホテルとして名高いリッツも、基本は「思いやり」

東京ミッドタウンにも、二〇〇七年、「ザ・リッツカールトン東京」がオープンしたが、ホテルリッツといえば、世界名だたる最高級ホテルだ。ホテル業界カリスマ存在セザールリッツ創立し、スタットラーホテルヒルトングループシェラトングループなど後進高級ホテルにおいては、その顧客サービスお手本ともなっているホテルである。セザールリッツは、一八五〇年、スイスネーデルワイドという村で、農民夫婦の一三番目の息子生まれた。牛の番や家の手伝いをしていた少年時代だったが、あるとき、近くのホテルワイン係として見習い奉公出ることになったのだ。これがその後のホテル王の伝説のはじまりだった、かというと、それがなんと最初失敗の連続だったという。まず、このホテルからは「お前には才能はない。ホテル業界では成功しないだろう」といわれて一年でクビになっている。だが、リッツはあきらめずに別のホテル行き、また解雇パリへも移って三度目の解雇をされた。普通の人間なら、そこで「自分にはホテル仕事は合っていないんだ」と思ってしまうところだが、ここからがホテル王の真骨頂リッツは、あきらめずに、ニースモンカルロ、ルツェルンバーデンバーデンなど、世界から富豪貴族集まる高級リゾート地で修業を積んだ。そして、徐々に貴族たちに認められるホテルマンになっていったのである。一八八八年、彼が三八歳のときにはすでに地位名声を手に入れて、ロンドン新しくできる豪華なホテル支配人として迎えられるほどになっていた。そして、ここが大当たりなのだが、とくにリッツがつれてきたフランス料理エスコフィエ功績大きかった。このエスコフィエ当時考案したホテルにおけるフランス料理サービスは、いまでもフランス料理人のバイブルといわれるほどの素晴らしいものだったという。一八九八年になって、リッツ彼自身の名をつけたホテルパリ開いた。これがホテルリッツのはじまりである。とにかくリッツ細かい配慮が行き届いたサービスをすることでその名声を手にしていた。たとえば、いまのホテルバーなどではほとんど当たり前になっている間接照明リッツ考えだ。柔らか赤い間接的光が婦人美し見せるというので、杏あんず色のランプシェード特別にあつらえている。常連客が本当のホテルリッツサービス語るとき、その豪華さやお金持ちが味わえる高級感というものを口にする客はいないという。決してリッチさを好んでいるのではなく、「自宅にでもいるようなリラックスさせてくれる場所」という心のこもったサービス認められているのだという。




東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820947