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シレトコ
【しれとこ】


(近世)江戸期から見える地名。西蝦夷地,はじめソウヤ場所,寛政2年からはシヤリ場所のうち。網走地方東端,知床(しれとこ)半島先端の知床岬付近。地名は,アイヌ語のシレト(大地の行きづまりの意)に由来する(アイヌ語地名解)。元禄13年「松前島郷帳」には「しろいそ」,「天保郷帳」には「シヤリ持場之内,シレトコ」とある。寛文9年シャクシャイン蜂起の際の「狄在所の名」に「しれとこ村 同(狄)百人程 大将名不知」と見える(津軽一統志)。「西蝦夷地分間」に「シレト」とある。松浦武四郎「再航蝦夷日誌」に「シレトコ,夷人小屋五軒。此処蚫,海鼠の漁多し……海岸図合船拾艘斗も懸り澗有る也」,同「廻浦日記」に「シレトコ村,人家三軒人別十人有」と見える。玉虫左太夫「入北記」では,アイヌ住人は3軒・11人。松浦武四郎「戊午日誌」には「シレトコ……通行屋一棟凡巾四間に桁十一間計も有りと見ゆ。是去巳年(安政4年か)始て此処に立るとかや。後是を聞に年々秋田家の勤番此処え夏中に詰越すよしにて建たりと。傍に清水一ツ有……シレトコ岳と云り。惣てシレトコは此辺の惣名哉。土人小屋三軒有」とあり,この頃通行屋はルシヤから啓吉湾付近に移されており,また,アイヌ住居は海岸段丘上にあった。明治2年北見国斜里郡に属す。同5年遠音別(おんねべつ)村の一部となる。のち知床と表記。魚田開発に伴い,昭和38年知床岬灯台設置。同44年知床岬漁港着工,同51年完成。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7004187