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大塚郷
【おおつかのごう】


旧国名:上野

(中世)鎌倉期~室町期に見える郷名。緑野(みとの)郡高山御厨のうち。徳治3年2月7日の関東下知状(東京国立博物館所蔵文書/県史資料編6)に,「上野国高山御厨北方内大塚中□□□(栗須郷カ)預所前隼人正親鑒代道盛」と大江氏女が,大塚・中栗須両郷内の知行分をめぐって相論し下地を和与したことが記されている。また,貞和5年8月28日の室町幕府執事高師直奉書(前田家所蔵文書/同前)によれば,「上野国高山御厨大塚郷内堀籠村田地小林七郎二郎重直跡」などを小林中村弥次郎実達に沙汰付けるよう命じている。当郷は上・中・下に分かれており,それぞれの呼称が史料に見える。南北朝期の文和2年3月19日の足利尊氏寄進状(長楽寺文書/県史資料編5)に,「高山庄南神田并下大塚田壱町畠三町・在家三宇」とあり,長楽寺普光庵に寄進されている。永禄6年5月10日の北条氏康・氏政連署知行充行状(安保文書/県史資料編7)によれば,「上州河北根本足利領内」の27か所を安保晴泰・同泰通に与えているが,そのなかに「上大塚郷小林右京亮分」「中大塚杉分」「上大塚発□」などが見える。なお,天正19年5月日の依田康真宛行状案(諸家感状宝物記/信濃史料17)には「上野国緑埜郡大塚村七百石」とあり,伴野隼人に知行地として宛行われている。現在の藤岡市上大塚・中大塚・下大塚に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7044751