羽生藩
【はにうはん】

旧国名:武蔵
(近世)江戸期の藩名。譜代・小藩。埼玉郡羽生町に天正18年立藩。徳川家康の関東入国に際し,重臣大久保忠世は相模国小田原城4万石を下賜されたが,その嫡子相模守忠鄰(ただちか)は,姉川・長久手の戦いの功を賞され,父とは別に羽生城2万石(羽生領84か村の地)を賜った。文禄の役には名護屋に赴き,慶長3年父の遺領4万5,000石をあわせて6万5,000石となり,相模国小田原城に移ったが,当地はそのまま領有した。家康を補佐し,信望最も厚かったが,大久保長安が不正のかどで誅されるやその推挙者として,また家康の重臣本多正信と争って,慶長19年所領を没収され,この時羽生城も廃城となり,領地は幕府直轄領となった。羽生城跡は羽生市東5丁目にあるが,その遺構はごくわずかにすぎない。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7051253 |