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木本藩
【このもとはん】


旧国名:越前

(近世)江戸期の藩名。家門小藩。寛永元年松平忠昌の弟直良(このときは直久,ただちに直輝と改め,のち延宝3年直良と名乗る)が大野郡木本に2万5,000石で封じられて成立したが,同12年1万石加増のうえ勝山3万5,000石に転じて廃藩。あとは福井藩に預けられたが,同14年には同藩に加封された。木本は秀康の代に加藤康寛が5,000石を与えられて守った要地であるが,直良時代のことは不明の点が多く,藩領もわからない。推測すれば,福井藩の領知高は寛永11年50万5,280石余(徳川家光領知判物),正保2年襲封した光通は松岡藩と吉江藩を含めて52万5,282石余であった。このうち大野郡は寛永11年710石余(佐子郷帳では27村583石余)で木本領を含んでおらず,「正保郷帳」「寛文朱印留」は旧木本領を含むがそれぞれ68村1万7,663石余と69村1万7,767石余とし,これには松岡藩領分の3,194石余と吉江藩領分991石余が含まれている。したがってこの増加分1万7,000石程が大野郡の旧木本領ということになり,この数値で郡高を総計すると9万3,500石程となって「正保郷帳」の郡高9万3,545石余とほぼ一致する。ところで「杉田郷帳」(大阪経済大学蔵)は,「御加増分 同(大野)郡木本」として,北御門・友兼・野中・猪ハ島・東山・開発・蕨生(わらびよう)(相給か)・木落・鶴ケ沢・下唯野(しもゆいの)・土打・上野・森政領家・森政地頭方・森目・木本領家・木本地頭方・印内・稲郷・西山・御給・今井・宝慶寺・伏石(ぶくいし)・小黒見・道島・落合・御領(相給)・橋詰・蓑道・柿ケ島・八町・米俵(とめどうろ)・熊河(くまのこ)・巣原・温見・平沢地頭・平沢領家村を挙げて,「〆弐万石」とするが,実際の村高集計は1万7,007石余しかない。以上のことから,寛永12年直良への加増は勝山領3万石に木本領分のうちの5,000石が加えられたもので,この3万5,000石が「正保郷帳」に載る「勝山御領分」(福井藩預)に相当し,これによって木本旧領は2万石となるが,そのうち1万7,000石程は大野郡内にあり,少なくとも上記41か村は木本藩領であったとみられる。そのほかは大野藩や「勝山御領分」の所領配置からみて,沿岸部を含む丹生郡の「織田領」ないし福井城下周辺の郡内に与えられていたのではあるまいか。なお「家譜」「系図」など松平家関係の史料や「名蹟考」が,松平忠昌に直良の旧領2万5,000石が加増されたとすること,「越藩史略」が木本領1万石とすることなどは間違いだと思われる。また松平家の系図の中には木本と近江国木本(きのもと)を混同したものもあり,江戸期にすでにわからなくなっていたのであろう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7092530