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大浦輪中
【おおらわじゅう】


羽島市の東部にあり,西に正木輪中,東に木曽川にはさまれた輪中で下大浦と大浦新田が含まれる。元来は木曽川の河川敷地であり,正木輪中の堤外地であった所を開いたので畑地が多く,「濃州徇行記」に,田28町5反4畝27歩に対し畑23町3反7畝19歩,とあり砂地が多く,田の割合が非常に低い。また同書に,野方6町3反7畝13歩,内畠8反9畝7歩,残5町4反8畝6歩は雑木,藪,荒野等其他荒地の分,とあるように木曽川の氾濫による荒地あるいは水防上の藪が多かった。大浦輪中が懸廻堤をもつようになったのは天正14年木曽川の本流がここを流れるようになってから,やや遅れて開発されたはずで,その成立は新しいとみなければならないが,年次は不詳。明治20年代の2万分の1地形図をみても,大浦輪中の木曽川沿いの堤防は不完全なものである。享保年中の「濃州治水記」に大浦輪中(一名正木輪中)とあるのは,本書で正木輪中として示すものである。明治期には大浦堤組合水利土功会として正木輪中水利土功会とは区別され,それは後に大浦輪中水害予防組合となり,昭和36年同組合の解散まで続いた。しかし,昭和11年になって,大浦輪中の木曽川沿いに立派な堤防ができ,旧来の正木輪中との境の堤防は今はない。ただ旧来の大浦輪中の範囲は依然として畑地が多く,正木輪中のそれとは土地利用上の差が明らかにみられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7105025