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加納輪中
【かのうわじゅう】


昭和4年現在の市町村名でいうと,岐阜市のほか,本荘・鏡島(かがしま)・市橋・日置江(ひきえ)・佐波(さば)・鶉(うずら)・加納・三里(みさと)の諸町村を含む大きな輪中で(耕宅地反別3万1,915反余),その中には百曲堤輪中・日置江輪中といった内郭輪中を含む複合輪中(外郭輪中)である。もっとも狭義には加納輪中をより狭く荒田川より高位部,すなわち百曲堤輪中の北を指す場合もある。また岐阜市のうちでは最高位部に当たる旧富茂登(ふもと)村と旧岐阜51町・旧小熊村とは長良(ながら)川沿いに堤防があっても加納輪中には入っていなかった(美濃国稲葉郡志)。ただし,岐阜51町のうち,若松町以西は加入。そして,岐阜51町と富茂登村(現在の岐阜公園付近)・小熊村とで明治17年頃は岐阜輪中長良川堤防組合を作っていた。加納輪中は北および西は長良川,東および南は境川(旧木曽川)に接し,それぞれ大きな堤防があったが,東北部は金華山などの山や平地の高位部のため堤防はない。地形的には高位部は長良川の扇状地であり,低位部は自然堤防後背低地帯に達する。この輪中の堤防は古くからあるが,荒田川の樋門を構築した元禄9年をもって輪中の完成とみる。そしてこの輪中をその形成史的にみると,荒田川に樋門ができるまではその上流の部と下流の部との間には連係がなく,別個の水防共同体であったとみるべきであろう。古来いくたびか破堤による水害をみたところで,特に長良川が直角に加納輪中の堤防にあたる本荘・鏡島方面では破堤回数が多く,そのためにできた落堀も多数残っていたが,今はすべて埋め立てられている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7105450