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西端藩
【にしばたはん】


旧国名:三河

(近世)江戸末期の藩名。三河国碧海郡西端に居所を置く譜代藩。元治元年9,000石を知行する旗本本多忠寛が,江戸警備の功労により,1万500石に高直しされて大名に昇格し,陣屋を西端に構えて立藩した。本多氏の江戸城詰所は菊間で,参勤交代を行わない定府大名。藩領は,碧海郡を中心に,上総・下総・安房・上野・下野・伊豆の7か国に分散し,表高1万500石に対し,実高は1万4,000石であった。本多氏の財政は,旗本の時代から窮乏の中にあり,嘉永6年の借財総額は1万1,971両に達している。忠寛は藩財政の立直しを図り,慶応元年正月御用金1,000両を御用達から取り立て,同4年4月には藩札を発行した(内閣文庫蔵愛知県史料)。慶応2年忠寛の跡を継いだ忠鵬は,同4年鎮撫総督より三河引っ越しを命ぜられ,4月30日総勢118人が蒸気船で江戸より大浜港経由,西端に向かった(揖録碧海郡志)。明治2年2月忠鵬は版籍を奉還,藩の機構を改革し,議政局・公用局・会計局・軍務局・学校局・中務局を置いた(内閣文庫蔵愛知県史料)。また練兵場を設け,洋式訓練を開始した。6月庁舎の建築を始め,翌年5月竣工。明治3年の戸数2,737・人口1万2,812,うち士族83戸・卒族53戸(同前)。同年10月,上総国周淮郡4か村を飯野藩の所管に,1か村を久保藩の所轄とし,12月代知として下総国匝瑳郡5か村を宮谷藩より収めた。ここに当藩の管轄地は三河国碧海郡5か村,伊豆国田方郡4か村,同加茂郡2か村,上総国武射郡3か村,同周淮郡1か村,下総国匝瑳郡5か村,同香取郡2か村,下野国安蘇郡1か村,上野国新田郡6か村,武蔵国多摩郡9か村の38か村となった。「旧高旧領」によれば,碧海郡内の所領は西端・城ケ入・桜井(一部)・東境(一部)・竹(一部)の5か村,高合計4,022石余。明治4年7月廃藩置県で西端県となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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