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大津県
【おおつけん】


(近代)慶応4年~明治5年の県名。慶応4年4月28日,鳥羽・伏見の戦い以後,大津代官所の支配地を朝廷直轄地となった近江国の旧幕府領の管理に当たっていた大津裁判所を解消して,大津県が成立。県知事は安芸広島藩士辻将曹が任命され,県庁はそれまで裁判所が置かれていた大津湊(みなと)町の大津代官石原清一郎邸に開設された。県庁はその後,東今颪(ひがしいまおろし)町の本福寺,上百石町,市民会議所,寺内顕証寺,滋賀郡別所村園城寺境内の円満院内室に移転。6月4日,野洲(やす)・蒲生(がもう)郡内にあった陸奥仙台藩領を収公。明治元年11月10日,県知事は朽木杢之允(のち退一と改名)となった。12月22日,陸奥会津藩領,滝川氏以下の旗本領,神崎郡の賀陽宮領,滋賀郡の滋賀院領などを収公。同3年2月,滋賀・栗太(くりた)・野洲・甲賀4郡の河内狭山(さやま)藩領,滋賀・高島・栗太・野洲・甲賀・蒲生・神崎・坂田・浅井9郡中の荘田氏以下50名の旗本領を,同年10月には伊香(いか)郡の上総飯野藩領,同4年4月には彦根藩預り地,10月には円満院宮領などの公家・門跡領・朱印寺社領,大溝(おおみぞ)藩・讃岐丸亀藩領を収公した。同年11月22日,府県官制の改制施行で,近江国を2分して,滋賀・栗太・野洲・甲賀・蒲生の5郡と高島郡の一部をもって新たな大津県が成立。旧藩領を引き継ぐ諸県は解消された。県知事は廃され,新たに県令として松田道之が任命された。同5年1月,松田は寺内顕証寺に議事所を開設し,総年寄・組合総代・郡中総代などを集めて,11か条の民事優遇の施政方針を示して,新政府への協力と理解を促した。同年1月19日,滋賀県と改称。同年9月28日,犬上県を合併。同9年8月21日,敦賀(つるが)県越前郡および若狭県三方(みかた)・遠敷(おにゆう)・大飯(おおい)の4郡を編入,同14年2月7日,再び福井県に編入して,現境域の滋賀県となる(大津市史・市町村沿革史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7131044