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尾八重谷村
【おはえだにむら】


旧国名:肥後

(近世)江戸期~明治4年の村名。肥後国球磨(くま)郡のうち。米良山山中の1村。岩井谷村・椎葉谷(しいばだに)村・猪窪谷村・東八重谷村と合わせて尾八重と称することもあった。九州山地中央部,一ツ瀬川支流尾八重川上流の山間地に位置し,周囲は地蔵岳・杖木山など1,000m級の山々が連なる。肥後国人吉藩領。ただし,人吉藩の付属ながら旗本交代寄合衆として参勤交代を勤めた米良氏が,幕府鷹巣山として支配していた。「元禄郷帳」「肥後国誌」には村名は見えない。村高は,「天保郷帳」では63石余。寛政2年「肥後国球麻郡米良山郷村并人高帳」(西米良村史)には記載がない。元禄7年8月,米良主膳と尾八重地頭米良権兵衛らとの間に出入りがあり,権兵衛ら尾八重の村民26戸・約200人が幕府領穂北村へ逃散した。日田代官は富高手代に事件の調査を命じ,村民は同年9月,米良大膳に率いられて穂北村大庄屋宅から帰村したという。また安政4年1月にも,尾八重地頭米良重央(要人)・嫡子隼雄ほか男女31人が佐土原(さどわら)城下へ逃散している(同前)。当地の年中行事は,山村としての生活を反映したものが多く,黒木重国日記から慶応2年の尾八重の年間暦を列挙すると,1月には1日にはがため(正月料理)・御屋敷参詣,3日に山の口あけ,4日に山祝の狩,7日に鉄砲祝・具足祝,11日はたけ(畑)起こし山口祝,14日に門松送り,2月には15日に山神講,3月には3日にひなまつり,4月には8日に釈迦講(村人は甘茶をもらいに出かける),5月には5日に5月節句,6月には18日に観音講,7月には7日にたなばた,13日に仏まつり,14日に施餓鬼まつり・精霊むかえ,16日に水掛祝(水引祭),8月には1日に八朔踊,2日に踊,15日に山神講,9月には9日に霧島講,15日に阿弥陀講,10月には18日に踊,11月には23日に若宮浜下り,12月には17~18日に祭,19日に宮祭・神祭,29日に門松たてが記されている(同前)。明治4年尾八重村の一部となる。現在の西都(さいと)市尾八重のうち。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234644