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由利郡


最上氏の知行は,家臣楯岡氏を赤尾津城,次いで本荘城に置き,元和8年まで続く。最上氏改易後,本多正純領を経て,元和9年由利郡5万3,000石の地は,岩城氏の亀田【かめだ】藩2万石,六郷氏の本荘藩2万石,旗本仁賀保氏領1万石,内越氏の矢島領3,000石に分有。その後,寛永5~11年に仁賀保領のうち7,800石余と矢島領3,000石は庄内藩酒井氏の預り地となり,次いで同17年この分は旗本生駒氏領(のち矢島藩)となり(うち1,800石余は元禄2年まで酒井氏預領),幕末に至る。「正保国絵図」では油利領258か村(実際は264か村を図示)・5万3,417石余,「元禄7郡絵図」では278か村を図示し(「元禄郷帳」では269か村と報告),由利郡5万4,745石余と表示。その後,村の統合が進み,「天保郷帳」では192か村7万2,670石余と認定。4藩領でそれぞれ村の編成を多少異にする。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7261418