100辞書・辞典一括検索

JLogos

15

長瀞藩(近世)


江戸期の藩名譜代・極小藩藩主米津氏は関東の上総・下総(現千葉県)に5,000石を領していたが,寛文6年米津田盛が大坂城番となり,摂津・河内(現大阪府)に1万石を加増されて,1万5,000石の譜代藩としてとりたてられたその後弟たちに4,000石を分与し,武蔵久喜(現埼玉県久喜市)に居処を営み,1万1,000石を領有していた寛政10年通政(伊勢守)のとき武蔵国の藩領6,425石余を村山郡に替え地となり,居処を長瀞に移した村山郡の米津氏領は長瀞・二藤袋・原田・大沢・鷹巣・本楯・上ノ畑の7か村6,421石余であった明治2年6月藩主政敏は版籍を奉還し,同年11月上総国山辺郡大網(現千葉県大網白里町)に移り大網藩と称したが,同4年2月さらに常陸国河内郡竜崎(現茨城県竜ケ崎市)に移り竜崎藩と称した村山郡内の長瀞藩領は同3年山形県に編入された




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7264060