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仁田村(近世)


江戸期~明治14年の村名村山地方,寒河江【さがえ】川と最上【もがみ】川の合流点西部に位置する村山郡のうちはじめ最上氏領,元和8年左沢【あてらざわ】藩領,寛永元年からは幕府領村高は,元和8年759石余・寛文12年513石余(西根村史談),享保19年「古代諸用聞書集」には「漆山御料仁田村」とあり513石余,「天保郷帳」514石余,天保13年の村山石高帳および「旧高旧領」ともに513石余村名については,元亨年間に関東から仁田某が一族とともに当村に来住し,開拓したという伝承があるもとは新田村と1村であったと思われるが未詳なお明応8年5月3日の年紀を有するせんゑいきた田地寄進状(澄江寺文書/県史15上)には「につたニとりわけせんゑいのちやたうふん」と見えるが,本文書は検討を要する家数は元禄10年31軒,明治元年40軒名主はほとんど小松利右衛門家が勤めた寺院は,天正年間新田加賀守公平が創立したという真宗大谷派公平山福正寺旧山形県を経て明治9年山形県に所属同11年の一覧全図では,反別46町5反余,戸数44・人口198明治11年西村山郡に属し,同14年新田村と合併して日田村となる




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7264278