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新宿村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。下総国結城郡のうち。はじめ山川氏領,慶長6年幕府領,元和元年山川藩領,寛永12年大名太田資宗領,同16年からは下野壬生【みぶ】藩領。村高は,「元禄郷帳」536石余,「天保郷帳」1,227石余,「旧高簿」では1,127石余ほかに新宿新田100石余。元和元年入封した水野忠元と2代忠善は20年間にわたり山川城の再興と城下整備を行った。その後正徳2年近江国水口から下野壬生へ3万石で入封した鳥居忠英は,下総結城郡を中心とする壬生藩山川領支配のため山川城跡に陣屋を設け,壬生から代官を派遣した。陣屋には代官屋敷・御目付屋敷・門番屋敷・足軽屋敷などの建物があった。さらに各村々名主の惣代として割元を置き,代々当村の平間家がその役を勤めた。神社は八坂神社。寺院は真言宗結城寺・大栄寺・摂持院など。大栄寺の不動明王は平将門の守り本尊と伝えられ庶民の信仰が篤い。安政2年焼失した万松寺跡地には水野氏歴代の墓がある。結城寺は奈良前期に,現在の市街地から南へ5kmほど離れた鬼怒川右岸の台地上に設けられた古寺で,室町期の結城合戦の際,上杉方の攻撃を受け焼失,永禄年間に至り山川氏重が当地に再興したと伝える(結城市史)。明治8年茨城県,同11年結城郡に所属。明治22年山川村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7274460