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真壁郡


天正18年,真壁氏の所領は,豊臣政権のもとで佐竹領国に編成され,以後真壁氏は佐竹氏の実質的な家臣団となった。文禄3年の太閤検地を機に,伊佐郡,小栗,村田荘,田中荘の一部,筑波郡北条酒依が真壁郡に編入され,このうち佐竹領国は4万9,030石6斗9升であった(新編常陸)。文禄5年蔵納帳(秋田県立秋田図書館蔵)によると,真壁氏幹の旧領のうち,茂田以下10か村4,571石2斗6升は,佐竹氏の直轄領として真壁氏に預け置かれている。また大関以下5か村,2,451石6斗1升も佐竹直轄領となり,宍戸氏に預け置かれている(新編常陸)。慶長2年4月27日,佐竹義宣は豊臣政権の指令に基づき山尾以下9か村に麦田検地を実施し,定納分が決定されている(同前)。元禄15年河内郡(西河内郡)と那珂郡(西那珂郡)の3か村を編入して郡域が確定された。寛永年間の村数は146か村,正保年間の村数208・総高8万5,389石余(新編常陸)。以後は,「元禄郷帳」218・12万5,341石余ほかに永21貫文,「天保郷帳」234・13万3,508石余ほかに永21貫文,「旧高旧領」266・13万3,443石余ほかに永21貫文で「旧高簿」には総村数は記載されず,総高は同じである。所領構成は,元禄年間幕府領・旗本知行地・寺社領のほか,笠間・下館・武蔵久喜・同赤松の諸藩領,明治初期は幕府領・旗本知行地・寺社領のほか,下館・結城・笠間・下妻・竜崎・下総佐倉・丹後峯山・山城淀の諸藩領が混在していた。「寛文朱印留」によれば,笠間藩領27か村・1万9,087石余,下館藩領47か村,寺社領は,加波山権現社領100石,下妻八幡宮・坂本天神社・阿弥陀堂領115石,真言宗雨引山観音堂領150石,天台宗千妙寺領100石・椎尾山薬王院領100石,禅宗伝正寺領60石など。大規模な新田開発は享保期から小貝川沿岸の谷原と称される低湿地で行われ,周辺14か村によって上谷原191町余のうち38町余,下谷原137町余のうち60町余が開発,残りは秣場とされ,享保15年には検地が実施されている。明治2年幕府領・旗本知行地は若森県となり,同4年7月廃藩置県により旧藩領を継承した結城県・笠間県・峯山県・淀県・下妻県・佐倉県・竜崎県が生まれ,同年11月茨城県に編入された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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