100辞書・辞典一括検索

JLogos

21

守屋(中世)


 鎌倉期から見える地名。下総国相馬御厨のうち。年月日未詳であるが鎌倉後期と推定される上総国并下総国内岩松氏本知行分注文に「下総国之内本知行分」として「一所 野毛崎村〈円城寺豊前守知行,今度刻北相馬守屋入部〉」と見える(正木文書/群馬県史)。野毛崎村は岩松氏の本領であったが,その家臣円城寺豊前守に与えられたものと思われ,このため同人は当地に入部している。永禄9年と推定される8月8日の足利義氏書状写に「森屋地為御座所可致進上段,相馬左近大夫申上候間,任其儀被為請取候,古河仕置等被仰付間,彼地へ可被移御座候」と見え,相馬治胤が当地を古河公方に御座所として進上したため,足利義氏が当地に移っている(静嘉堂本集古文書/古河市史)。当地の守谷城は三方を湖沼に囲まれた平城で,伝承によれば平将門が築いたという。戦国期には相馬治胤が居城し,一時足利義氏が居城したこともあった。天正18年徳川家康の関東入部に伴い土岐定政が入城し1万石を領したが,元和3年摂津高槻2万石に移され,廃城となったものと思われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7277038