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守谷町(近世)


 江戸期~明治22年の町名。下総国相馬郡のうち。守谷藩領を経て寛永初年旗本伊丹氏の知行,同10年幕府領,同19年佐倉藩領,寛文6年幕府領,同9年上野【こうずけ】前橋藩領,天和元年幕府領を経て,同3年からは関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」1,835石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに1,840石余。寺院は天台宗西林寺・曹洞宗長竜寺・浄土宗雲天寺・浄土真宗永泉寺,神社は八坂神社。天正18年土岐定政1万石の城下町となったが,元和3年守谷藩の廃藩後は,在郷町として周辺農村との商品流通の中心地となった。はじめ取手宿に水戸藩主通行の節に限り加助郷を勤めていたが,寛延2年からは同宿の定助郷23か村のうちとなる(椎名半之助家文書)。地内を常陸下館城下から銚子(千葉県)に至る房総街道(銚子街道)が通る。明治8年茨城県,同11年北相馬郡に所属。同14年辰新田村,同16年西奥山新田を合併(北相馬郡志)。明治22年守谷町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7277039