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竜ケ崎村(近世)


 江戸期~明治初年の村名。常陸国河内郡のうち。竜ケ崎町とも称した。はじめ佐竹氏領,のち幕府領を経て,慶長11年からは陸奥仙台藩領,幕末期は幕府と仙台藩の相給。村高は,慶長11年「常州知行目録」1,238石余(伊達家文書10/大日古),「元禄郷帳」1,238石余,「天保郷帳」2,214石余,「旧高簿」では竜ケ崎町と見え2,214石余。天和元年の家数652・人数3,250,名主8・組頭11。元治元年の家数835・人口3,545,嘉永2年の大庄屋3・小庄屋4・組頭13(竜ケ崎市史)。宝暦年間に当村の豪商杉野市左衛門が佐沼新田を開発しており,元治元年の家数44・人口212,馬7,高114石余(同前)。仙台藩の竜ケ崎陣屋は,城山の西に置かれ,陣屋総構で,米倉・兵具倉・長陣屋などが建っていた。戦国期土岐氏の陣屋を中心として上米・樋の口・高森町の地に町割がなされ,根町・米町・田町・新町・横町・上町・下町・砂町の8町が成立し,江戸期は在郷町として発展した。上町・横町が商業の中心で,大津屋・奈良屋・佐野屋・伊勢屋などの呉服商が並んでいた。貞享年間には江川用水をめぐる用水争論,奈戸岡の山林や愛宕・羽黒両権現の山林をめぐる争論が起こった(竜ケ崎郷土史)。天正13年土岐氏創建という曹洞宗大統寺・天台宗般若院・同竜泉寺・愛宕神社・八坂神社がある。家塾には石川塾・椎名塾・杉野翠兄塾などがあった。石川塾は横町の大庄屋石川清純が開いたもの。ほかに下町の医師岡野光県も塾を開いたという。寺子屋は横町の大統寺,下町の観音堂,砂町の医王院があったという(竜ケ崎市史)。明治初年までに竜ケ崎町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7277378