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西方(中世)


 室町期から見える広域地名。都賀郡のうち。応永18年11月8日の宇都宮持綱寄進状に「寄進,西方内大和田郷半分事,右彼所者,為西刑部内平塚村代,所令寄附一向寺也」と見え,平塚村の代わりとして当地内の大和田郷半分が一向寺に寄進されている(一向寺文書/県史中世1)。次いで,同年12月8日宇都宮持綱は,一向寺領である「西方大和田半分」の諸役を免除している(同前)。また,応永32年6月13日にも宇都宮持綱が「西方内大和田郷上分田数壱町」の諸役免除を一向寺に認めている(同前)。下って,延徳4年10月2日の宇都宮成綱等寄進状写によれば,「西方三沢郷之内福恩寺分并慶蔵院分」が成高寺に寄進されている(小田部庄右衛門氏所蔵文書/県史中世2)。また,粟野町北半田の医王寺蔵の鰐口銘に「下野国西方医王寺金堂鰐口……正長二年中春八日敬白」と見える(とちぎの文化財)。当地は中世に宇都宮氏の支配下にあったと思われる。天正18年と推定される関東八州諸城覚書には「一,西方ノ城〈西方駿河守〉」と見え,西方氏は宇都宮氏の麾下にあった(毛利家文書/県史中世4)。西方氏については,「武茂氏系図」の綱景の項に「遠江守,領都賀郡西方十余郷,西方氏之祖」とあり,西方綱景が当地の10余郷を領し,西方氏の祖となったという(下野国誌)。西方のうちとして史料的に確認されるのは,大和田郷・三沢郷の2郷で,他の郷村については未詳。現在の真名子を除く西方村の東部と鹿沼市・粟野町の一部を含む地域に比定される。なお,江戸期には西方郷13か村と総称されることがあり,その13か村とは新宿・大沢田・金井・金崎・柴・下宿・田谷・中宿・深見内・古宿・峯・和久井(以上西方村),富張(都賀町)の各村である(西方記録)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7280131