100辞書・辞典一括検索

JLogos

35

青柳郷(中世)


 戦国期に見える郷名。邑楽【おうら】郡のうち。地名としては室町期から見え,「鶏足寺世代血脈」に「一,弘成武州萩沢郷金光寺別当……於上州佐貫庄青柳二王堂行汀」とある(県史資料編7)。道興准后の「廻国雑記」に「三月二日,とね川,青柳,さぬきの庄館林,ちづか,うへのの宿などうち過て」とあり,武蔵から奥州白河へ抜ける途中の文明19年3月2日頃,道興は当地を通過しており,この道が中世の要路として利用されていたと考えられる(県史資料編7)。「永正十五年道者日記」によれば,永正15年に伊勢の御師久保倉藤三が上野【こうずけ】・下野【しもつけ】の旦家を訪れているが,その時「〈あをやき〉もろ殿」を訪れ,帯一筋を土産として200文の献金をうけとっている(同前)。大永5年9月27日の赤井氏家臣等連署状写(永明寺縁起/県史料集8)によれば,「阿古宇田,青柳両郷に有之御寺領」を永明寺に安堵している。その後館林城は赤井氏から足利長尾氏のものとなったが,天正12年には長尾氏は金山城由良氏とともに小田原北条氏と戦って破れている。その結果,天正13年2月13日には「青柳郷百姓中」に宛てて北条家掟書(松本稔氏所蔵文書/県史資料編7)が出され,当郷は館林城領に編成されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7281247