石戸宿村(近世)

江戸期~明治22年の村名。足立【あだち】郡石戸領のうち。古くは石戸郷に属したという。旗本牧野氏の知行。検地は寛文8年。持添新田があり,寛政6年検地し幕府領。村高は「田園簿」には石戸町と見え,162石余ですべて畑。「元禄郷帳」も石戸町と記し175石余,「天保郷帳」は「古者,石戸町」と注記され石戸宿村と記し176石余。村の規模は東西13町余・南北16町余。道に沿って民家が並び,道の中央に排水溝がある。化政期の家数105軒。荒川岸に渡船場があり,宿の中央では毎年3月2日・5月2日・7月11日・12月27日の年4回市立てが行われた。宿の小名の本村には60軒余が集中。高札場は村の中央に1か所。鎮守は天神社。寺院は天台宗青竜山放光寺,小名堀の内の阿弥陀堂は石戸氏の館跡と伝え,また荒川に沿って天神山城跡があった。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数155・人口726,馬27,渡舟2。飛地は川田谷村と下石戸上村内に各1か所。東光寺境内の蒲桜は「新編武蔵」や「郡村誌」に見え,樹下に貞永2年ほかの年紀銘の板碑が見られる。物産は鶏卵・米・オカボ・大麦・小麦・大豆・小豆・藍葉・甘藷・芋・ナス・ワラジ・酒で,うち卵・小麦・大豆・藍葉・甘藷・ナス・ワラジ・酒は売品であった。同12年北足立郡に所属。同22年石戸村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7285434 |