小松原村(近世)

江戸期の村名県東部,荒川左岸の台地に位置する地名の由来は,古くは松原が多かったので名づけられたという(新編武蔵)足立【あだち】郡石戸領のうち一説に古くは石戸領に属したという原馬室【はらまむろ】村の枝郷「田園簿」では「小松原村」として1村であるが,「元禄郷帳」では「原馬室村の内小松原」となっている正保~元禄年間に枝郷となったと思われるはじめ旗本牧野氏の知行,享和2年幕府領検地は元和6年・寛永7年・延享元年村高は「田園簿」で150石,すべて畑村の規模は東西3町余・南北5町余化政期の家数36軒村内を古道が通り,旧中山道という鎮守は稲荷社2社寺院は新義真言宗受法院・当山派修験滝本院高札場は村の中央小名はそぶ・こうし海道・西光寺塚明治初年原馬室村に編入された

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7287388 |