里村(中世)

室町期から見える村名。足立【あだち】郡のうち。応永22年7月20日の市場之祭文の武蔵・下総【しもうさ】33か所の市開催地名の中に「武州足立郡鳩ケ谷之里市祭成之」とあるのが初見。里は古来鳩ケ谷郷の中に属していたようである。天正2年9月10日の小田原北条氏寺領寄進状によれば,「下足立里村之内,保正寺々領之事,大途無御存而先年自検地之砌,御領所ニ相紛候歟,彼寺領壱貫二百文,如前々無相違御寄進候」とあり,里は当時里村と称されており,里村の内にあった寺領が検地の際,小田原北条氏の直轄領にまぎれこんだため,改めて寺領1貫200文が寄進されている。これは鳩ケ谷付近が小田原北条氏の直轄領であったことを示している。その後天正19年には寺領10石の徳川家康朱印状を賜っているが,その宛名が「法性寺」となっていたため寺号を改めたと伝えている。その寺領地は知行という小名に残っている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7287581 |