100辞書・辞典一括検索

JLogos

47

大和田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。上総国市原郡のうち。慶長7年~延宝7年は久留里藩領,のち幕府領,高滝藩領,旗本領と繰り返し,元禄11年からは旗本布施氏・水野氏の相給となる。村高は,文禄3年「石高覚帳」213石,「元禄郷帳」216石余,「天保郷帳」229石余,「旧高旧領」231石余。江戸前期高滝藩の陣屋が置かれた。享保6年の家数30,「上総国村高帳」では家数35。寺院は真言宗光厳寺。同寺は延宝8年,もと当村にあった本覚院と交換して田淵村から移転。明治元年の船運賃見積書によると,大和田河岸から五井浦までの往復日数は約5日間,上り荷は米60俵まで積めて運賃金3両,但し上下の荷を扱う時は金1両2分,下り荷は米170俵まで積めるが本荷120俵以外は水主船頭の上荷と称し船頭たちへ荷代を渡すならわしである(野田市立図書館所蔵文書)。明治6年千葉県に所属。明治4年の人別改帳では家数29・人口176。同18年の反別66町余(上総国町村誌)。明治22年高滝村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7292251