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小弓(中世)


 戦国期に見える地名。下総国のうち。生実とも書く。「東路の津登」によれば宗長は永正6年10月,当地の原胤隆を訪ね「小弓の館のまへに浜の村の法華堂本行寺旅宿なり」「この館は,南は安房上総の山たちめぐり,西北は海はるばると入て,鎌倉山横たはり,不二の白雪半天にさしおほひてみゆ,駿河国にてみるよりは猶ほどちかげなり」と描写している(群書18)。この館は小弓城(生実城)と呼ばれ,城址は現在の千葉市南生実町,村田川の河口低地を望む標高約20mの舌状台地上に位置する。遺構は内城と外城からなり,内城は字古城・要害台といわれる城の中心部(本丸)で,約2万m[sup]2[/sup]。外城は内城の南東から北西に連なる字松原・森台といわれる半月形の台地がそれに当たると推定される。また,森台の北側に接する字中原(中鼻)は同城の大手郭と考えられる。「千葉大系図」などによれば,はやく11~12世紀頃に千葉介常兼の弟常途が,「千葉生実城」に居住して原四郎を称したといい(房総叢書),千葉介満胤子息(千葉介兼胤弟)の胤高が,応永年間に「生実城〈又号小弓〉」に拠って,原氏再興の祖となった。原胤高の孫胤房は千葉氏重臣で古河公方足利成氏を支持し,同じく千葉氏重臣で上杉氏を支持する円城寺尚任と抗争を繰り返した。千葉介胤直が上杉氏側につき,円城寺氏を用いるようになると,胤房は馬加康胤と共謀して胤直に反逆し,康正元年3月,胤直・胤宣父子は自刃(鎌倉大草紙/群書20)。宗長を迎えた胤隆は胤房の後に当たる。当時,原氏は上総国真里谷【まりやつ】城主武田三河守信保と対立,これを退けていた。永正14年に武田氏は政氏の子義明を擁して勢力を挽回,永正14年10月15日,小弓城は落ち,城主原次郎と家老高城越前守父子は滅亡した(快元僧都記天文6年12月条/群書25)。義明は,当城を居館としたため「小弓上様」といわれた(同前)。天文7年10月,小弓御所義明は北条氏綱の軍勢と下総国府台に戦ったが,義明は敗死,小弓城は焼き払われた(快元僧都記天文7年10月2日条/群書25)。天文8年12月28日付北条氏綱書状に「雖古河様小弓御退治候」とあるのは,この合戦(第1次国府台合戦)を指す(大庭文書/県史料県外)。原胤隆の孫胤清は小田原北条氏の扶持をうけて武蔵国浅草にいたが,これによって当地に復帰した(小弓御所様御討死軍物語/続々群4など)。しかし,小弓城には小田原北条氏が入ったため,帰住後の原氏は当地にあらたに北小弓城(生実城・北生実城)を築城。その遺構は小弓城の北方約1.5kmの地点にあり,城郭は千葉市生実町字本城・旧邸・宮腰・番後台,城下は字町並に比定される。標高約20mの下総台地西端上に位置し,南北両側は沼沢地,西は崖の要害の地である。同城は平山城で,本城の面積は約2万6,000m[sup]2[/sup],空濠をもって3郭に区画され,西北端の本丸と考えられる部分が約1万5,000m[sup]2[/sup]を占めている。本城東側の字旧邸は江戸期の生実藩主森川氏の陣屋址である。弘治3年8月,千葉介親胤が弑され,胤富が千葉惣領となったが,同年10月,千葉氏重臣臼井城主臼井景胤が死去し,小弓城主原胤貞(胤清子息)は胤富の要請をいれて,景胤遺子久胤を補佐するため,1か月の3分の2は臼井城(現佐倉市臼井)に住んだという(千葉臼井家譜/房総叢書)。永禄4年,安房里見義弘の重臣正木時茂は,小田原北条氏方の千葉介胤富を佐倉城(現佐倉市鹿島)に攻め,さらに胤貞の臼井城・生実城を攻略してこれを奪取したが,翌年には胤貞は生実城に復した。永禄7年には,下総国府台における里見氏・小田原北条氏の合戦(第2次国府台合戦)で,里見氏が敗走,当地は一時小康状態を保った。元亀2年頃には再度里見氏が千葉・船橋付近にまで進軍し,当地も戦場となった(千学集抄/房総叢書)。しかし,土気城主酒井康治に宛てた天正9年10月4日付小田原北条氏朱印状には,「従下総相州江為運送,船弐艘小弓・下曽俄野ニ掛置」とあり,小田原北条氏の勢力下にあった。豊臣秀吉の小田原攻めにあたり,小弓城主原胤栄は千葉氏とともに小田原北条方に属し,天正18年12月,徳川家康家臣酒井家次と野田十字ケ原において戦い敗死した。なお,「本土寺過去帳」では,9日項に「小弓本隆寺永正八辛未八月 常林坊日勢逆修」「原越後入道道喜 文明三辛卯九月小弓館ニテ打死」,19日項に「長谷殿妙長□文亀元辛 小弓ニテ被誅」,20日項に「朗典位 弥富殿小弓ニテ打死 天文四乙未六月」,24日項に「朝勢比丘尼 明応四乙卯三月小弓」,28日項に「永正十八辛巳八月 金ヨリ市河ニテ追テ打死臼井・布佐・葛西・小弓者共」とある。中世の小弓は近世の生実郷・北生実村・南生実村を含む地域を指す。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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