菊間之郷(中世)

戦国期に見える郷名。上総国市原荘のうち。天正11年12月13日の里見義頼寺領充行状(田代文書/県史料諸家)に「於菊間之郷,一乗坊跡出之候,仍如件」とあるのが初見で,正善院に当郷を充行っている。その後天正18年5月日の豊臣秀吉禁制(榊原ヨシ家文書/市原市史資料集中世編)にも市原荘のうちとして「きくま」と記されている。なお,治承4年,源頼朝が飯香岡八幡に神領を寄進したと記録される飯香岡八幡宮由緒本記(近世に筆写されたもの)にも「菊間村」とある。また天正13年佐倉城主千葉邦胤を殺害した桑田万五郎が追手により当地で討ちとられたという(房総治乱記)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7293087 |