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佐是郡(中世)


鎌倉期から見える郡名上総国のうち「和名抄」に見える海上郡佐是郷を中心とした地域に,平安末期,成立した中世的郡上総介広常滅亡後の文治2年に当郷内矢田・池和田両村が広常の娘(加賀美長清の妻)に一色別納として源頼朝から安堵されており,これ以前,当郷は平姓上総氏の所領であったと推定される矢田村はその後矢田郷とも称され,鎌倉期から南北朝期に行方氏・烟田氏ら常陸平氏の一族に相伝されたそのほか郡内には鎌倉期からは高滝郷,南北朝期からは内田郷,戦国期には河田荘(郷)などが見え,内田郷は室町期,高氏の一族高師長の所領であったまた,応安8年の市原八幡宮の造営に際し,当郡は埴生【はぶ】郡,長南郡などとともに国衙領として同宮中門1宇等を負担している(三宝院文書/県史料県外)なお,郡内には延暦21年創建の橘寺が存在したが弘長元年に堂塔伽藍を焼失したといわれ,翌年同寺の前地頭榎沢入道が如来像を新造したことが見える(県史料金石1)そのほか寺院としては西福寺(内田郷),常楽寺・坂中薬師堂(河田荘),神社としては高滝社(高滝郷)が見える




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7293900