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曽我野村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。下総国千葉郡のうち。寛文5年「寛文朱印留」に,天正19年より春日大明神領朱印10石が曽我野郷内に見える。はじめ旗本宮城氏領,元禄11年から幕府,旗本山崎氏・三沢氏の相給(今泉地録集/千葉市史史料編2),享保~宝暦の頃は幕府,旗本矢部氏・山崎氏・三沢氏・河野氏の相給(曽我野村船役書上/船橋市立図書館所蔵文書),のち三沢氏が金田氏に替わる。なお,「各村級分」では幕府,旗本土岐氏・矢部氏・山崎氏・河野氏の相給と見える。村高は,「元禄郷帳」594石余,「天保郷帳」593石余,「旧高旧領」594石余。元禄7年北生実村と浦境について争論が起きる。浦では田肥となるキサゴが採れた。湊・宿場・継立場として繁栄。曽我野浦から江戸まで10里,元禄13年の廻米運賃は100石につき1石(徳川禁令考前集6)。また,東上総の東金・九十九里沿岸より馬の背で〆粕・干鰯・年貢米・鮮魚を荷受けし,五大力船で江戸へ廻送した。宝暦10年には9艘が稼動,浦運上1貫656文を上納。明治前期には廻船問屋・穀物商・海産物肥料問屋・旅籠屋・一膳めし屋などで栄え,「州」という農産物卸売市場で仲買人が活躍した。天保13年の家数183・人数942,神社は春日大明神社・神明社・第六天社・権現社(今泉地録集/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。明治6年春日大明神社別当春光院に曽我野藩庁舎を移築し,曽我野小学校を開設,同20年蘇我尋常小学校分校となる。明治22年蘇我野村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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