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高滝郷(中世)


 鎌倉期から見える郷名。上総国佐是郡のうち。「沙石集」の「和光ノ方便ニヨリテ妄年ヲ止事」の条に,「上総国高滝トイフ所ノ地頭,熊野ヘ年詣シケリ」とあり,当地の地頭が一人娘を具して熊野詣に出かけた記事が見える。その後,市原市平野青年館所蔵(大日堂旧蔵)の永禄元年12月4日付大日如来胎内銘に「上総国加茂高滝郷」と見える。貞観10年9月17日に従五位下の神階を授けられた高滝神を祀る高滝社があり(三代実録),東陽寺(大原町岩船)所蔵の永享2年3月7日付阿弥陀如来立像銘などには「佐是郡高滝社下村」と見える(県史料金石1)。同社は承安年間に山城国の賀茂社を勧請したと伝えられ(上総国町村誌),江戸期には賀茂大神宮と称している。前掲永禄元年の大日如来胎内銘に「加茂高滝郷」と見えるのも賀茂社の勧請に由来すると考えられる。永享2年の阿弥陀如来立像銘に「高滝社下村」とある村については不詳。なお,高滝社付近は江戸期には加茂村と呼ばれている。中世の郷域は明らかではないが,江戸期には市原郡の加茂村以南,養老川上流域部を広く指称する地域名となり,延宝年間の朝生原村水帳には「佐是郡高滝荘」と記されている(上総国町村誌)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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