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田淵村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。上総国市原郡のうち。慶長7年久留里藩領,延宝7年幕府領,同8年前橋藩領,寛保2年からは再び久留里藩領。村高は,文禄3年「石高覚帳」では曲淵村と見え225石,「元禄郷帳」285石余,「天保郷帳」449石余,「旧高旧領」499石余。家数は享保6年賀茂宮氏子留帳(小幡重康家文書)76,「上総国村高帳」では73。名主は鈴木・田村両家が世襲。文政年間,当村名主は地方取締大惣代の割元名主をつとめた(鈴木家文書)。明治元年の戊辰戦争に際し,望陀【もうだ】郡真里谷村の真如寺へ集屯した幕府軍の撒兵隊数百人が,同年閏4月8日当村名主方へ押入り,翌9日には官軍約1,000人が久留里城下に着き,撒兵隊鎮圧のため15~60歳の男子を当村からも徴用している(田村家文書)。神社は熊野神社・大山祇神社3・天津日神社・天津神社の6社。寺院は曹洞宗耕昌寺,真言宗本覚院・延命院があり,本覚院は延宝8年大和田村から当村に移転。ほかに青蓮寺と満蔵寺があったが明治7年本覚院に合して廃寺となる。明治6年千葉県に所属。同6年耕昌寺に田淵小学校を開設。同7年川崎村,同15年日竹村を合併。同18年の反別280町6反余(上総国町村誌)。明治22年里見村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7294868