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廿五里村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。上総国市原郡のうち。「上総国村高帳」では幕府・旗本川口氏の相給,「旧高旧領」では幕府領。村高は,文禄3年「石高覚帳」258石,「元禄郷帳」では津以比地村と見え398石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに445石余。「上総国村高帳」では家数78。姉崎二十五郷中の海保村五郷組合に属し,寛保年間以降鷹匠通行の際に霞役出銭を負担,また今富村の川越役もつとめた。養老川に面する低平地のため,しばしば洪水の被害を受け,とくに明治3年の洪水の際には収穫は皆無となった。用水も同川を利用したが,近隣諸村としばしば水論を起こしている。また同川の渡船場の1つ。神社は宇佐八幡神社・若宮神社,寺院は真言宗恵光院・東泉寺。明治6年千葉県に所属。同年東泉寺に廿五里小学校開校。同16年当村出身の山越永太郎が中心となり字十三割に板羽目堰が造成され,当村など8か村の水田268町歩が灌漑された。同18年の反別113町6反余(上総国町村誌)。明治22年東海村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7294946