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鶴牧藩(近世)


江戸期の藩名譜代・小藩陣屋は市原郡椎津(市原市)文政10年若年寄・安房国北条藩主水野忠韶の転封により成立歴代藩主は忠韶・忠実・忠順忠韶は若年寄としての功労により,文政8年に城主格に列せられていたが,入封の際,城地約1万7,000坪を下賜され,そのため陣屋を鶴牧城と公称したまた藩名は,水野氏の江戸藩邸が早稲田鶴巻町にあったことに由来するという忠実は天保8年奏者番,同10年西丸若年寄に進んだ領地は,上総国市原・望陀【もうだ】・夷隅・埴生【はぶ】・長柄・山辺,安房国朝夷【あさい】・長狭,丹波国船井・天田【あまた】・氷上【ひかみ】の11郡内に散在し,1万5,000石であった表高は1万5,000石であったが,実高は1万9,909石余明治元年領地替により,夷隅・埴生・長柄・山辺・朝夷・長狭の6郡の領地が市原・望陀両郡に移された同4年廃藩置県となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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