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能満村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。上総国市原郡のうち。旗本朝岡氏領。村高は,文禄3年「石高覚帳」419石,「元禄郷帳」504石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに539石余。「上総国村高帳」では家数101。天保9年の諸渡世書上帳写によれば,家数90・人数480,農間商い5,うち小売酒屋2・穀槇炭材木商1・小間物1(飯香岡八幡宮文書/県史料上総)。神社は日枝神社。寺院は真言宗釈蔵院。明治6年千葉県に所属。明治2年,菊間藩は能満原野を藩士1人平均5反歩払い下げ,茶園を経営させた。同3年には11名が資金を出しあい能満開墾社を結成,同13年までに45町歩を開墾。また村の南方能満原は,山田橋・勝間などの数村にまたがり約650町歩もあるが,明治16年小松宮家がその一部に松・櫟を植林した。しかし,のち村民の所有に帰し開墾,麦・陸稲・甘藷などを栽培,30余戸の村を形成するに至った(市原郡誌)。能満小学校は明治7年民家に開設,教師2,生徒は男43(市原市史)。同18年の反別93町5反余(上総国町村誌)。明治22年市原村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7295805