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八木ケ谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。下総国千葉郡のうち。寛永2年旗本長井氏・市川氏の相給,「旧高旧領」では幕府,旗本長井氏・市川氏の相給。村高は,「元禄郷帳」79石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに116石余。新田開発により37石余が増石し,幕府領となった。新田には家がない。文久2年名主湯浅八郎左衛門は塾を開設し,近郷100余人の門人があった。八郎左衛門は升月亭居山と号する俳人でもあった。明治期の新聞記者で漫画家の長井総太郎(鶯亭金升と称す)は明治元年湯浅家で生まれた。慶応2年の戸数18・人口82。寺院は天台宗長福寺で,周囲に土塁をめぐらせ,山門脇土塁上に石尊社がある。明治5年の戸数27・人口140。同6年千葉県に所属。明治22年豊富村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7297202