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前沢村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。多摩郡野方【のがた】領のうち。村高は103石,すべて畑地で旗本米津氏の知行地(田園簿)。元禄年間118石余(元禄郷帳)。享保年間,南方に武蔵野新田の1つで持添の前沢新田を開発。幕末には前沢新田を加え305石余で,幕府領202石,龍ケ崎藩領103石(旧高旧領)。米津氏は代々徳川氏に仕えた三河武士で,天正19年にこの地に知行地を与えられ,小名の宿に米津寺を創建し,代々菩提寺とした。秩父【ちちぶ】道が村内を東より西へ走る。化政期の家数160軒,前沢新田3軒(新編武蔵)。村の東方の小名の宿【しゆく】は,江戸初期に宿駅市場とする計画があったと伝える(歴史地理)。西方の天台宗楊柳山光明院延命寺は天保6年に小山村の大円寺に合併(延命寺過去帳)。神社は延命寺持ちの八幡社。明治5年神奈川県,同11年北多摩郡に所属。明治22年久留米村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7301341