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栗原(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ座間村,昭和12年座間町,同16年相模原町,同23年座間町,同46年からは座間市の大字。明治24年の戸数220,男709人・女673人。大正初年芹沢の豊富な湧水による水車を利用して製糸工場や澱粉工場ができたが,大正12年関東大震災により,まもなく廃業した。同15年神中鉄道(現相模鉄道)が南端を通過。昭和12年座間に開設された陸軍士官学校の水源には上栗原の湧水が,同16年東方台地上に設置された海軍の厚木飛行場(綾瀬市・大和【やまと】市)や高座航空廠(工場)の水道の水源には芹沢の湧水がそれぞれ利用され,第2次大戦後,旧陸軍の水道は米軍の座間基地用にされ,旧海軍の水道は航空廠撤去後,県営水道などに利用され,現在は市営水道の水源とされており,両方の水源井の数は6か所に増えている。第2次大戦後,高座航空廠は撤去され,用地は農地に戻り,昭和27年南北に横切る相模原畑地灌漑用水路が完成,傍らに桜並木が植えられた。昭和30年代後半より工場が進出,市街地化が急速に進行。一部が,同34年立野台,同36年相武台,同38年緑ケ丘,同49年相武台1~4丁目,同51年入谷4~5丁目,同52年ひばりが丘2~5丁目となる。昭和43年市立栗原児童館,同45年相武台東小学校,同52年立野台小学校・栗原中学校,同56年市立東地区文化センター開設。県立栗原高校などがある。世帯数・人口は,大正14年294・1,689,昭和55年7,214・2万2,099。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303290