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久昌寺前(近世)


江戸期~明治5年の町名金沢城下町のうち,地子町の1つ城下の北西部町名は曹洞宗久昌寺の門前地であることによる(古蹟志)元禄9年の地子町肝煎裁許附に当町名が見え,江戸初期堀川町のうちであったと思われる武家屋敷・町屋・寺屋敷が混在する天明5年には地子町肝煎で本堀川町の直江屋権兵衛支配下文化8年,御先手組足軽組地の他,地子地約805歩に家数15軒があり,組合頭は新堀川町と同じく宗兵衛(文化8年町方絵図・名帳)寺院は曹洞宗久昌寺・太巌寺,江戸期に小松から当町に移転した同宗宗徳寺久昌寺は慶長15年の建立で,開山明巌誉伝は織田家の一族であり,2代藩主前田利長の室玉泉院(織田信長の娘)の縁戚に当たるため,尾張から移ったといわれる太巌寺付近は久昌寺前とは別に太巌寺前ともよばれた(古蹟志)明治5年当町は太巌寺前とよばれる地域を合わせて堀川角場町となり,戸数は26




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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