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猪山(中世)


 南北朝期から見える地名。大野郡のうち。井山・居山・亥山とも見える。年未詳4月1日付の某(後宇多上皇か)院宣によれば,「春日社領越前国泉庄内井山村」について,憲俊僧都の管領を停止し,惣荘に返付すると見える(京大一乗院文書)。南北朝期の暦応2年,脇屋義助を中心とする越前南朝方が大規模な軍事攻勢をかけ,7月5日には「堀口兵部大輔氏政,五百余騎ニテ居山ノ城ヨリ出テ,香下・鶴沢・穴間・河北,十一箇所ノ城ヲ五日ガ中ニ攻落」したという(太平記21)。翌3年には足利方が反撃し,同年9月20日付の熊谷直経代三山重行軍忠状によれば,重行らは8月12日夜,「井山城御敵」の夜討を退け,同18日には井山城を攻めている(熊谷家文書/大日古)。下って天正元年8月21日「亥山ノ城」に籠っていた朝倉景鏡は羽柴藤吉郎・稲葉伊与守らに降伏した(朝倉始末記)。その他,享禄3年2月27日の崇聖寺領目録に「弐石〈在坪,猪山之腰 此外土免在之〉寄進見阿弥」とあり,弘治3年2月にはその他灯明料の分として「弐百文〈在坪,猪山之裏水落〉寄進牛原明玖首座」と見える(洞雲寺文書/大野市史社寺文書編)。牛原荘の南限が猪山で,泉荘内に井山村があったとすれば,牛原荘と泉荘との境界付近,すなわち現大野市街地の中南部あたりが猪山(井山・居山)と称されていたことになる。ちなみに亥山城は市街地中南部の日吉町にあったとされている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7329511