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樫津村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国丹生郡のうち。はじめ福井藩領,寛永元年勝山藩領,正保元年幕府領(貞享3年まで福井藩預り),元禄10年紀伊高森藩領,宝永2年からは幕府領。村高は,「正保郷帳」721石余うち田方667石余・畑方54石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」でも同じく721石余。太閤検地の村切以来,隣村新保村との村境がはっきりせず,新保村からの入作者も多かった。村境争論も相次ぎ,近隣5か村の立会のもと村境が決定し,両村連印の証文が作られ,境に堀切りがなされ,絵図面が作成されたのは元禄3年のことである。田中甚助家はつねに組頭・大庄屋などの地位にあり,特に高森藩時代には29か村の組頭を勤め,下河原村土屋野に新田開発を行っている。元禄16年樫津組村々大差出帳(田中家文書/宮崎村誌)によれば,家数は本百姓43・水呑20・隠居2,人数309うち男142・女167,馬14・牛20,氏神は織田剣大明神。また,八幡山王相殿社とあるのは現在の日吉神社で,もとは剣大明神の末社。明治3年本保県,以降福井県,足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,戸数63・人口257(男120・女137),牛4・馬2,物産は繭50貫・楮100貫・布50反・苧綛200・菜種5石。明治22年宮崎村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7330227